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就職活動

わざわざ、アメリカに渡り学位と経験を得たのだから、しばらくはアメリカで働きたいと思う人も多いと思います
もちろん自分もその一人でした
加えて言えば、日本で体育関係の大学をでていない自分は日本で何の伝も無いので、アメリカで仕事を探すほうがやりやすいというのもひとつの理由でした

幸運にも自分はOPTの期限が切れる前の3月に声をかけていただくことができました

これからアメリカで仕事を得ようとしている人のなにか参考になればとおもい、思い出せる限りの事を書いていこうと思います


まず自分はEntry-level Master Programの卒業生です
なので卒業した時にようやくATCという有資格者1年目のど新人というスタートでした
Undergradから来た人の多くは、有資格者として大学院に進み、そこで1-2年の実務を積み就職活動の場に出ます
中には大学院に行く前にInternを1年してそれから大学院に進む人も多いと思います
ですから「経験年数」という所ではどうしても差がうまれてしまいます

自分はその事を言い訳にしたくありませんでした

だから在学当初から人よりも多くの事を経験し、本を読み、話を聞き、飛び込み、自分の手をどんどん汚していきました(悪い事をするという意味ではなく)
RockiesやTexansでのトレーニングキャンプにインターンで参加させてもらったのもそういった「年数」だけで判断されたくなかったので
自分自身に付加価値をつけようと思っての事でした

資格なんてただの紙切れですが、アピールポイントにはなるだろうと思いCSCSとNASM-PESも取得しました
(それらの知識は実務の上で役に立ったのは言うまでもありません)

希望としては高いレベルに自分の身を置いておきたい気持ちが高かったので
プロからDIをはじめとして、最終的にどこにも残れなかったら意味がないのでDII, DIIIの学校にも手当たり次第アプライをしました
多分総数40-50位

その間様々な葛藤がありました
一度DIIIに行ってしまうとなかなかDIの環境に身を置く事はできなくなる、と多くの人から言われてきました
逆に、DIIIに行っても自分次第でDIやさらに上のレベルに身を置く事はできる、とも言われました
それと同時に、「まずはビザを出してもらうことが大事」と言うアドバイスも先輩方からいただきました

時間的な制約によるあせりもありました
OPTの有効期限は1年間、そしてGrace Periodは60日(2008年当時)
自分は卒業と同時にOPTが開始となったので、GPを含めても7月の頭には結果がでていないといけない
焦りはありました
なぜなら、こちらの大学は8月からはじまるので、求人が最も多く出るのは5-6月から
さらに6月末にはコンベンションがあり、ひとつの大きな機会でもありますから
しかし、自分はそれまでに結果が出ていないと、おそらくタイムリミットで日本に帰っていなければならなかった

最終的にDIIIの大学を選びました
粘って粘ってやればDIでも小規模なところならもしかしたらチャンスはあったのかもしれません

今まで自分が身を置いてきた場所では、それがどのレベルであれ必ず自分の居場所を作ってきました
どのレベルに行こうとやるべきことはきっちりとやり、結果を出せる。そういう自負はありました
でもまったくと言って良いほどコネクションがない場所から声をかけてもらえるだけのものは今の自分にはなかったと言うことだとおもいます

結果から言えば前述の「まずはビザを出してもらう事が大事」という選択肢を選んだ事になります

でもこの選択を卑屈にとらえたりはしていません
それにはいくつか理由があります

自分が受けると決めたこの大学はDIIIとはいえ、真剣に競技に、そしてAthletic Trainingに向き合っているということ
DIIIのNCAA Championになるスポーツがあると言う事
他にもNCAAトーナメントに出場する力を持つチームや、カンファレンスチャンピオンになれるチームがあると言う事
そしてスタッフの数・人柄・学校スタッフとの関係
さらに自分が魅かれたのは、ここで自分らしさをだせれば 良いコネクション・人のつながりができていく事が感じられたこと
そして最後にハワイ・南部(AR)・西部(CA)とわたってきたので、東海岸を知って起きたかったというのもあります

もしも経験年数が理由で上のレベルでやれないのであればその年数はここで十分に積めると判断したから
あとは自分次第

そして外国人として無視できないのはビザのサポートをしてくれるという事
自分は卒業と同時にOPTがはじまったので、コンベンションの時期には仕事が決まっていないと厳しい状況であり、タイミング・ご縁ということもありました

この大学に決まったのもやはり多くの方の支えやご縁ががありました

日本人先輩ATの方からいくつかの大学で募集が出るという事を教えて頂き、そららの大学のヘッドを知っているということで一言添えていただきました
そのつながりで、まずはある大学(A)から声がかかり、トントン拍子で話は進んで行きましたが、最後の最後で、最初の段階でアスレチックディレクターから
許可もでていたということだったのに、外国人は雇わないということになり、突然白紙になりました

先輩方の話には聞いていましたが、実際こういうことが起こり少なからずショックを受けました
それから数日後、今自分が勤めている大学(B)から連絡がありました

白紙になってしまったA大学のヘッドが、去年までB大学のヘッドの元で仕事をしていた関係で
A大学で雇うことが無理とわかったらすぐにB大学のヘッドに連絡をいれてくれた、というわけでした

この大学は以前に日本人を含む外国人ATを雇っていた事もあり、ビザの事も問題なく話は進み、お世話になる事を決めました

タイミングとご縁というものはあるものだな、と思いました

自分は本当に幸運だったと思います
非常に多くの方々から、お力添えをいただきました
実際に仲介もしていただきました
そして、今まで道を築き上げてきてくれた先人達の努力による「日本人の評価」というものもあったとおもいます

この幸運に対する感謝の気持ちを忘れることなく、おごることなく、謙虚に
やるべき事をやっていき、今の自分が自分であるために育ててきてくれた、今まで出逢い、支えてきてくれた師・先輩・仲間達を裏切る事の無いように
そしてこれから出逢う人達を、同僚を後悔させることないように
今、学生として日々学び、これから仕事を探そうとしている仲間の力になれるように
自分の足元を固め、一歩一歩進んで行きたいと思います

2008年 7月

 
   
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